東日本大震災の発生以来、災害からの復興が日本と日本社会の最大の課題となるとともに、震災に関する記録や教訓を後世へ伝えるためのアーカイブ形成の必要性が説かれ、いくつかのプロジェクトが実際に進行しています。また、有史以来繰り返し日本列島を見舞ってきた災害の歴史の見直しの必要性の声も高まってきています。
一方、富山大学が位置する富山県は、他地域と比較して地震が少なく、台風に襲われることもほとんどないことから、安全な土地との評判があり、地元住民の防災意識も低いといわれています。しかし意外なことに富山県の歴史は災害との戦いの歴史であり、まさに災害との戦いが現在の富山県を形成してきたともいえるのです。
その全ての発端ともいえる事件が安政5年2月26日(1858年4月9日)に起きた飛越地震とそれに起因する常願寺川(富山県富山市および中新川郡立山町を流れ富山湾に注ぐ河川)の大洪水(安政大泥水)でした。大洪水は2回にわたって襲来し、上流部にせき止められていた土砂が一気に流れ出すことにより、富山平野は泥の海と化したとの記録が残されています。
これを契機に、常願寺川はすっかり暴れ川に変わり、豪雨のたびに水害や土砂災害を頻発するようになりました。ところが、明治の一時期において越中を併合していた石川県は、越中の水害復旧を放置するなど越中軽視の姿勢があったため、分県運動が起こり、全越中が分離独立する形で富山県が成立したのです。その後、富山県においては今に至るまで治水砂防対策が継続され、現在の安全・安心な富山県が維持されています。
今回、紹介する資料は、富山大学附属図書館が所蔵する川合文書の中に保管されていた「立山~岩瀬・水橋の神通川筋・常願寺川筋絵図(安政4年(1857年)の大地震による変地絵図1枚含む3枚綴)」(地震の発生は安政5年ですが、資料中には「安政四年」とあり、誤記と思われます)です。飛越地震に伴う安政大泥水の状況を示す3枚の絵図からなり、大洪水の原因となった溜り水と洪水の被害の範囲を知ることのできる資料となっています。最近、ある地球物理学者からの閲覧依頼があったことからデジタル化公開を行うとともに、背景説明と合わせて紹介させていただくことといたしました。
なお、飛越地震に関連する資料は、富山県及びその近隣の図書館、公文書館、博物館、資料館などの施設に保存され、公開されており、立山カルデラ砂防博物館では、主として常願寺川流域の災害絵図・絵の複製に加え、古文書のデジタルデータ化に取り組み、資料のさらなる共有化を進めているとのことですので、関心のある方は合わせて探求の対象としていただけるとよろしいのではないかと思います。
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北原糸子・松浦律子・木村玲欧編『日本歴史災害事典』(吉川弘文館, 2012)
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富山市史編さん委員会編『富山市史』通史(上巻)(富山市, 1987)
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中央防災会議災害教訓の継承に関する専門委員会「1858飛越地震」(『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』平成20年3月)<http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1858-hietsuJISHIN/index.html>