十村とは?
十村(とむら)
他藩の大庄屋に当たる加賀藩特有の職名のこと。慶長9年に創始された。 始めは十ヵ村を裁許したので、十村肝煎(とむらきもいり)・十村頭(とむらかしら) といわれたが、後に単に十村となった。郷村支配機構中農民の最高職で家格・持高・ 技量などが問われ、その地域に適任者がいない場合は、他郡より転任させる”引っ越し 十村”という制度が適用された。
無組御扶持人十村(むくみおふちにんとむら)、組持御扶持人十村(くみもちおふ ちにんとむら)、平十村(ひらとむら)の3種があり、それぞれに列(れつ:退老者) と並(なみ:準役者)があり、9つの階層になっていた。
十村組(とむらぐみ)
十村の裁許する村をまとめて十村組と呼んだ。創始時は十ヵ村で組まれたが、 次第に大組化し、50?60ヵ村になった組もある。組名も始めは十村の出身村名が冠せら れたが、引越十村の制度ができてからその土地の郷名を取るようになった。
加賀藩主一覧
代 | 藩主名 | 受領名 | 生年月日 | 没年月日 |
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1 | 前田利家 | 筑前守 | 天文7.12.25 | 慶長4.3.3 |
2 | 前田利長 | 肥前守 | 永禄5.1.12 | 慶長19.5.20 |
3 | 前田利常 | 筑前守・肥前守 | 文禄2.11.25 | 万治1.10.12 |
4 | 前田光高 | 筑前守 | 元和1.11.20 | 正保2.4.5 |
5 | 前田綱紀 | 加賀守・備前守 | 寛永20.11.16 | 享保8.5.9 |
6 | 前田吉徳 | 若狭守・加賀守 | 元禄3.8.8 | 延享3.12.8 |
7 | 前田宗辰 | 佐渡守・加賀守 | 享保10.4.25 | 延享3.12.8 |
8 | 前田重煕 | 但馬守・加賀守 | 享保14.7.24 | 宝暦3.4.8 |
9 | 前田重靖 | 加賀守 | 享保20.11.8 | 宝暦3.9.29 |
9 | 前田重教 | 加賀守・肥前守 | 寛保1.10.23 | 天明6.6.12 |
10 | 前田治修 | 加賀守・肥前守 | 延享2.1.4 | 文化7.1.7 |
11 | 前田斉広 | 筑前守・加賀守・肥前守 | 天明2.7.28 | 明治17.1.16 |
12 | 前田慶寧 | 筑前守・加賀守 | 天保1.5.4 | 明治7.5.18 |
加越能三カ国領国図
川合家歴代の主要職務等
又右衛門(初代) | 年不詳三月十五日死去 |
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又右衛門(二代) | 寛永十七年正月十七日死去 |
慶長 九年 | 十村役に任命される |
又右衛門(三代) | 貞享四年六月十日死去,諱:広満 |
承応 元年十一月 | 無組御扶持人十村に任命される。 |
寛文以降 | 砺波郡・余郡御用を命じられる。 |
又八(四代) | 元禄十一年正月十四日死去,諱:正房、あるいは武房 |
寛文 三年 | 芹谷野新開裁許を命じられる。 |
貞享 四年 九月 | 無組御扶持人十村に命じられる。芹谷野新開裁許を兼務。 |
又右衛門(五代) | 元文四年十一月十四日死去,諱:教抱 |
正徳 四年 七月 | 無組御扶持人十村に命じられる。 |
享保 七年 九月 | 能登幕領、加賀藩預けにつき、御引渡の御用を命じられる。 |
享保十六年 九月 | 近江御知行所御見立て御用を命じられる。 |
元文 三年 九月 | 再度,近江御知行所御見立て御用を命じられる。 |
又八(六代) | 元文四年十二月二十日死去 |
又八(七代) | 明和二年十二月二十六日死去,諱:寿冨 |
元文 五年 七月 |
無組御扶持人十村並に命じられる。 |
又右衛門(八代) | 明和三年十一月十六日死去,諱:章方 |
宝暦十一年 正月 | 名代誓詞を仰せ付けられる。 |
又右衛門(九代) | 文化五年三月二十四日死去,諱:林富 |
明和 七年 五月 | 無組御扶持人十村並に命じられる。 |
安永 五年 正月 | 射水郡へ加役御用を命じられる。 |
又八(十代) | 嘉永二年一月二十日死去,諱:文輔 |
寛政十一年十二月 | 砺波郡平十村を命じられる。 |
享和 元年十二月 | 御扶持人十村並に命じられる。 |
文化 五年 | 無組御扶持人十村に命じられる。 |
文化十一年 三月 | 退役。 |
文化十四年 | 帰役。 |
文政 二年 三月 | 十村断獄により退役、能登へ流刑となる。 |
文政 三年 | 赦免され、帰役。 |
天保 五年 | 射水郡惣年寄役を命じられる。川合姓を許される。 |
天保 九年 七月 | 退役と慎み方を命じられる。 |
天保 十年 | 帰役。国吉組裁許を命じられる。 |
天保十四年 | 砺波郡御扶持人十村列に命じられる。 |
又右衛門(十一代) | 慶応三年三月二十一日死去,諱:林熙、欣斉 |
文政 九年十二月 | 砺波郡無役年寄列に命じられる。 |
嘉永 七年 | 国吉組裁許を命じられる。 |
又右衛門(十二代) | 大正三年三月二十一日死去,諱:林穀 |
明治 三年 | 国吉組裁許を命じられる。 |
明治十二年 | 戸出村ほかの戸長となる。 |
鍋石(十三代) | 大正十三年八月十日死去,諱:清風 |
明治三十八年 | 戸出郵便局の局長となる。 |
禾(おおし) (十四代) |
昭和三十八年二月十二日死去 |